備忘録

しわ無し脳みそのために...

バイク買い替え検討の巻(5 番外編)

自分が高校生の頃は暴走族が大暴れの時期だったため、高校には「三ない運動」というのがあって「免許は取らない、バイクは買わない、バイクに乗らない」というのが一般的で、普通の高校生は原付にさえ乗れなかった。

当時ハーレーなんぞに乗っているのは、昔の免許(大昔は四輪免許を取ると、おまけでバイク免許がついていた)で乗っているライディングテクニックなんぞなんもなしの成金の親父しかいなかった。だから400cc以上のバイクは見ることすら珍しい時代で、そんな中でアメリカンポリスのコスプレで交通安全運動のパレードなんかでハーレーを転がす親父をみると、憧れの裏返しでむかついたものだ。

それでも床屋の順番を待ってるときに、マンガで「750ライダー(少年チャンピオン 石井いさみ)」なんてのを読むと、「ナナハン、いいなー」と思っているだけでは悔しくて、「中型だけでなく大型二輪免許を取ってみたい」という希望がだんだん大きくなってきた。

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そのためペーペーの社会人の自分は、一年発起して、二輪の中型免許の限定解除に挑戦した。社会人になって、定期的な現金収入ができたのもあったかもしれない。

当時は教習所での型二輪の教習は認められておらず、限定解除したい人は警察の試験場にいってとるしかなかった。そのため合格率は2~3%と言われ、合格者はヒーロー扱いだった。ふつうは討ち死にで、かつ次回の試験予約は土曜だと2~3か月後(東京)で、頑張っても年に4~5回くらいしか試験が受けられなかった。

試験場では時間の節約ということでまずクランクやS字といった小技をやらされ、ここで約9割以上が落とされる。、外周コースへ出る人はめったに見ることはなかった。これでは落とすための試験であって、ハーレーを売りつけたいアメリカが非関税貿易障壁だといって圧力をかけてくるのも当然だ。

インターネットなんぞない当時、雑誌などでよく調べたところ、埼玉の和光にあるホンダのレインボーモータースクールと、神奈川の綱島にあるコヤマドライビングスクールだけが、二輪の教習をしていた。和光は遠かったので、コヤマに何度か通って大型の練習をした。ただこれも大人気で、週末の予約は月1回も取れなくて大変だった。

ここで教習車としてでてきたのはCBX750 Horizonだった。現在のホンダのWebではミニカウルがついたモデルの写真があるが、確かカウルなしだったと思う。これが妙にライトの位置が高く、フロントフォークが長く見え、当時あった日本製アメリカンバイクを思わせるようなバランスが取れていないひょろひょろスタイルでどうにもかっこ悪い。

大型は確か1年ちょっと挑戦したが、予約が取れないだけでなく仕事との兼ね合いもあってあきらめた。

そして今度は自分自身が「先が見えてきた親父」になって、まだまだ住宅ローンにあえぎながらもリターンライダーとして大型二輪をとることになった。人生は思ったほど長くない。どん底に突き落とされることもある。やりたいことをやってから死んだほうがいい。