備忘録

しわ無し脳みそのために...

バイク買い替え検討の巻(2 DCTとその問題点)

ホンダのDCTについて専門のページがあるので読んでみた。スクーターのようなCVTでなく、ちゃんとしたコンピューター制御のクラッチとギアがあるミッションだった。採用しているモデルは、ゴールドウイング、アフリカツイン、レブル1100、X-ADV、NC750X、FORZA750などだった。これらはかなり縁遠いバイクだったが、唯一の例外はNC750Xで、大型二輪の教習車NC750Lの兄弟車だった。

NC750シリーズは、NC700S、Xとして2012年にDCT無しと有りの両方のモデル(RC61、63)で発売となった。その後、2014年から750にボアアップし、2016年、2021年(Sは廃止)にモデルチェンジを繰り返している。

NC750Lの元はNC750S。SとXの違いは、Sはスポーツタイプでカウリングなし。Xはクロスオーバーだろうか、アフリカツインのようなアドベンチャーモデルで、車高が少々高い。ノーマル車高のNC750Xの他に、数センチ車高の低いNC750X LD(ローダウン)というモデルもある。

DCTはいわゆるATの範疇でギアの選択はコンピューター任せだが、マニュアルトランスミッションモードも選択でき、その際にはクラッチなしでギアをライダーが操作することもできる。

いいことばかりのようだが、世の中そう甘くはない。いろいろと調べてみるとどうもこのバイク用のDCTがまだまだ出始めの技術で、故障が多く以下の症状がでるらしい。

  • Nに入らない
  • ギアが変わらない
  • ギアがマイナス表示になる
  • エンジンが始動しない
  • 症状が出ても一度エンジン止め、再始動すると収まることがある

同様にDCTが原因で、ホンダ四輪のフィットで3回もリコールを繰り返した。機械自体の問題だけでなく、ECU内のソフトウエアのバクも含まれる。バイクのDCTはどうなのか。 

消費者庁 ホンダフィット 車両に搭載されている7速DCT型自動変速機の制御不具合

消費者庁 ホンダフィット 動力伝達装置(自動変速機制御コンピュータ)の不具合

消費者庁 ホンダフィット 動力伝達装置(自動変速機制御コンピュータ)の不具合

 

バイクを色々調べてみたところ、ECUやセンサーを交換してもだめで、シフターシャフトという部品の強度不足(色が銀)のようだ。2014年モデル(RC72)の途中からこれが対策部品(部品名シフターピン     24315-HL4-000 色は黒)に交換され故障が減ったらしい。

古い銀色のシフターピンは、まるでドラマ「下町ロケット」ダーウィン編にでてくるギアゴースト社の故障頻発トランスミッションの欠陥シャフトみたいだ。佃製作所はギアのシャフトに特殊な加工を施し強度を上げて問題をクリアした。新しいDCTの黒いシフターピンが、佃製作所製だといいのだが。

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www.tbs.co.jp

ちょっと怖いが、クラッチレバーなしというのは大きな魅力だ。

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バイク買い替え検討の巻(1 クラッチが重い)

バンディット1200Sに乗り始めて、まもなく2年になる。一度乗ってみたいと思っていたハーレーではなかったが、リッターバイクに乗ることができた。いいバイクでできるかぎり乗り続けたいと思っていたが、以下の問題点がある。

  1. 下道で峠に行くと、帰る頃にクラッチを握る左手が痛くなる。
  2. 2001年製のため、供給されない部品がでてきた。
  3. まもなく車検だが、簡易見積もりでは15~20万ほどかかるという。

どれも大きな問題だが、特に長く乗るにはクラッチは大きな問題だ。リッターバイクの強力な動力を伝えるためには、クラッチにはそれなりの強いスプリングが必要なのだろう。時々握力を鍛える程度では、いい年をした自分にはもう限界かもしれない。

年のことを考えると買い替えるならば、これが最後のチャンスだろう。となると気に入っているバンディットではあるが、2年乗ったし乗り換えを考えてみることにした。

条件はまずクラッチが軽いこと、次に比較的部品が簡単に手が入ること。できればあと10年くらいは乗りたい。ということで、いいものがないか探し始めた。

まずクラッチなし、といういことでまず考えたのはスクーター。前にもマジェスティ125に乗っていたので拒否反応はなかったが、せっかく大型免許を取ったので400cc超のモデルで安いものを探した。よさそうなものとしてみつかったのは、スズキのSkywave。これは大きいのは650ccあって、そのためにバイクの大型AT免許の講習で使われたらたしい。そういえば自分も教習所で、ATの練習で乗ったように思う。ところがこれは大排気量のせいか、古いのに結構高い。ほかにもヤマハTMAX(500~530cc)も探したが、これも意外に高い。

コロナ以降、三密を避けて通勤に使うためかバイク価格が高騰している。新車は半導体不足のせいか、ひどいと6~9か月以上待たされるらしい。中古も以前より5割~倍くらい高くなっている。

それではクラッチが軽いバイクがないかを調べたら、ホンダでDCTというオートマチックトランスミッションがあることを見つけた。それを搭載したバイクにはクラッチレバーがない、という。なになに~と調べてみることにした。(続く)

奥多摩周遊道路ショートツーリング

途中まで書いた下書きが消えてしまったので、書き直し。久しぶりに、今年初めて奥多摩周遊道路に行ってきた。

天気が良くなかったり、用事があったりで年明け後あまりバイクに乗れなかったが、これからの週末もちょっと忙しく、車検もあったりでその前に乗っておきたかった。青梅の天気予報は最低マイナス2度、最高4度で、晴れだった。気掛かりは路面凍結だったが、奥多摩にはここ二週間ほど雨や雪は降っていないはずなので行ってみることにした。

家を7:45頃に出たが、気温は零度位で寒い。晴れの予報がハズレた曇りで、日が出ないので今日は寒そうだ。日曜朝の寝坊を楽しんでいる近所の人達の迷惑にならないように、バス通りまでバイクを押して行く。寒かったが、チョークを引くとセル一発でエンジンが吠えた。チョークを引くと2,000回転以上回るので、朝や夜は家のある路地でのエンジン始動は顰蹙だ。バス通りだってエンジンがかかったらうるさいので、早々にゆっくりと動き始める。

停車したままエンジンだけあっためすぐにガンガン走り出す人がいるが、まだ駆動系、タイヤ、ブレーキがあったまっていないことを忘れている。さらにバンディットは油冷のため冷却系にサーモスタットがなく、サーモスタットのある水冷よりもウォームアップに時間がかかる。チョークは2~3分程度で戻せるが、真冬の早朝だとオイルを含めたエンジン全体があったまるのは10分くらいかかるイメージ。しばらくは、マフラーから盛大に湯気を吐きながらゆっくり走る。

やっとあったまってきたかな、と思う頃には今度は人間が寒くなってくる。特に冷たいのはやはり指先で、電熱グローブを最弱にてONにする。子供が買ってくれたグローブだが、最弱でも電池が3時間も持たない。一番寒い朝方だけでもあったかければよし、とする。

日曜朝なので、車は少ないはずなのだが下り線なのでガラガラというわけにはいかない。それでも土曜日よりは空いていたので、1時間弱でJR青梅駅についた。青梅市街を超えると一段と寒くなってくる。指は電熱でよいとして、今度はライディングシューズを履いている足先が冷たくなってきた。そこでコンビニに入って、ちょっと小型のホッカイロを二つ買ってつま先に張り付けてから、靴を履いた。しかしこれもガンガン温まる感じでなく、何となく~といった感じでそれも1~2時間で終わった。次回は普通サイズのでかいカイロを張ることにしよう。

JR奥多摩駅を越えたあたりからは、バイクは元より車の数も減ってきた。ここら辺から気になったのは、道路がなんとなく濡れているような、感じなこと。おそらくこれはアスファルトの上に融雪剤が解けて広がり、空気中の水分を吸収しているのだろうと思う。よって道路は黒光りして普通の乾燥状態とは異なるため、どうもズルっといきそうでちょっと怖い感じがする。

この状態が、奥多摩周遊道路を越して桧原村くらいまで続いた。山を下りてからしばらくしてタイヤを見ると、両脇に塩のような白い粉が付着していた。きっとこれが融雪剤だろう。本当はすぐに足回りの水洗いをした方がよかったかもしれない。

さて奥多摩湖の脇を走ってきた青梅街道を左に曲がり深山橋を渡り、すぐ再度右に曲がってメンテナンス中の三頭(みとう)橋を渡り、奥多摩周遊道路に入っていく。橋を渡ってから250メートルあたりの川野駐車場手前に気温を表示する機器があるがこの時点で9時半ほどで摂氏0度だった。

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地図をみるとこの辺で標高530メートとのことだが、ここから東京都の道路の最高地点1146メートルまで、標高差616メートルを登っていく。東京スカイツリーと同じくらい登ることを考えると、なかなか大変だ。三頭橋の袂から最高点まで12.8キロで、1,000メートル当たり48メートル登る(48‰パーミル)計算となる。ビルの1階を5mとすると、1000約10階まで登ることになる。結構すごい。

ちなみに通常の鉄道では坂道は25‰までとされ、それ以上は登山用の特別扱いになるようだ。急な坂道としては信越本線碓氷峠(旧横川-軽井沢間 標高956メートル)が有名だが、標高差は550メートル(勾配は最大66.7‰)と奥多摩周遊道路といい勝負だ。自分はアプト式鉄道には乗ったことはないが、横川駅で一旦止まった電車(おそらく特急あさま)の後ろに碓氷峠専用の電気機関車EF63 約3467馬力)を2両連結し、後ろから押してもらって登った記憶がある。電車内で通路前を見ると、前の方が上にぐっと傾いているのがよくわかって驚いた覚えがある。

また現在「碓氷峠鉄道文化むら」の保存されている急勾配専用にチューンナップされたEF63は、なんと川崎重工製だそうだ。鈴木製だったらよかったのに(藁)

頭文字Dシルエイティがかっ飛んだ碓氷峠よりも標高の高い奥多摩周遊道路(秋名にはちょっと負ける)だが、シーズンオフのためか時間がやや早いせいか、走り屋はあまりいない、すれ違ったライダーや車、追い越していったのもそれぞれ20台はなかったと思う。

やはり問題点は路面で、凍結防止剤のためか黒光りしていて、かつ日陰に入ると少しだが雪が残っていた。自分のようなビビりにはちょっと怖く、後ろから来た走り屋には素直に道を譲る。この付近は携帯が圏外のところが多く、万が一の場合には病院まで2時間かかるとあちこちで脅されている。今日は他車も非常に少ないので、自分のペースでゆっくり行くことにした。

また風張峠駐車場の前にある、「東京で一番高い道路」の標識の写真も生で撮ってきた。ちょっと古いが、この付近でネズミ捕りの情報あり。そういえばここでパトカーとすれ違った。走りやすい道のため事故が多く、シーズン中はネズミ捕りが頻繁にでるらしい。

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また今回は、今まで入ったことがなかった月夜見第一駐車場に入ってみた。ここからだと小河内ダムの遠景が見える。実は昨年秋ごろからBS(テレビ東京)などで「駐在刑事」という人情ドラマのシリーズを見つけて、はまっている。

www.tv-tokyo.co.jpそのなかでよく出てくるパノラマシーンがここから撮ったものだとわかった。小河内ダム周辺の水根という実在の地名にある、架空の駐在所とその付近の住人の人情警察もので、よく見る景色がしばしばでてきておもしろい。

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今回の一つの目標が、寺島進が扮する駐在さんがよく立ち寄る旅館のロケ地が奥多摩周遊道路のすぐそばだったので、寄ってみることにあった(藁)。場所は、桧原都民の森を過ぎて、南に3キロほど南に進んだところ。周遊道路から逸れて裏の道に入ると、いつもTVに出てくるシーンが出てきた。TVでは看板だけ「水根旅館」に張り替えて撮っており、実際の水根とは山の反対側でかなり遠い。しかしまあTVのロケとはそういうものだし、趣のある旅館なのでそれはよしとしよう。

www.mitousan.jpなお桧原村役場前の交差点を曲がらずにそのまま北へ進み、水根本宿線の下記の場所に戦闘機隼の車輪がある手打ちそば店があるそうだ。そのうちいってみたい。またそのまま山の林道を北に進むと、JR奥多摩駅の方に出るらしい。一応舗装はしてあるようなので、春になって雪の心配が無くなったら探検に行ってみようと思う。
山をそのまま下りて、桧原、秋川を越え、小中野の交差点を過ぎるともう道は広くなり、もうここまで来るとあきる野市街となり路面もすっかり乾いている。そのまま五日市街道で五日市、拝島、立川の砂川七番を過ぎてから左にそれ、裏道となる小川道と青梅街道(旧道)をすすむ。道幅の狭い五日市街道を進むと、バイクであっても西武線の踏切二本を超えるのに難儀するからだ。

それに毎度立川のあたりに来ると、五日市くらいまではかろうじて無事だったクラッチを握る左手と前ブレーキを右手が、結構厳しくなってくる。そんな状態で、渋滞で寸止めを繰り返すと左手が悲鳴を上げる。ブレーキは後輪でもカバーできるが、特に左手がつってしまいそう。シフトアップの時にはクラッチを使わない、などしているが、クラッチがもう少し軽いと助かるのだが、オヤジライダーはクラッチがないスクーターの方がいいだろうな。休憩をほとんどとっていないせいもあるかもしれない。

もう少し走って合計150キロ少々、約4時間半のショートツーリングを無事終了し自宅に到着した。今日も事故なくよかった。しかしずっと曇りで、帰ってきても気温が4度くらいしかなかったため、非常に寒い。さらに今日はちょっと急いでいたため、いつもだったら途中で食べるラーメンもなしで、そのためか体温がだいぶ低くなった。次回はもう少し厚着をし(ズボンも結構寒い)、また靴の中も大きなカイロを入れその交換用も準備していこう。

チェーン張り調整作業の備忘録

素人のため、チェーン張り調整作業の備忘録 。

Bandit 1200Sを中古で購入してから4,000キロほど走り、気になり始めたのがチェーンのたるみ。スクーターはベルトドライブで張りの調整は不要だったため、チェーン張りなんぞ30年ぶりくらいだ。 たるみを見ると4センチ以上ある。もう調整した方がいいかなと思って、やり方を調べてみた。

マニュアルを確認すると「サイドスタンドで立たせた状態で25~35ミリ」となっている。う~ん?センタースタンドでないの?と 思ったが、ネット情報では自重でサスペンションが縮んだ状態でも遊びが あることが必要らしい。

それからネット情報ではオンロード車で25から35mm、オフロ ード車で35~45mmとある場合が多いが、一部のネット情報で はバイクによって全くバラバラで必ずメーカーの説明書で確認することとあり、その例として以下のヤマハモデルの場合、

 MT07  51~56mm
 トレーサー900  35~45mm
 XSR900  5~15mm
 MT10  20~30mm

となっているそうで、なるほど結構違うものだな、と思った。

サービスマニュアルによると、Bandit 1200Sは25~35mmとなっていた。実車状態を見ると45mmくらいはあったので、自分でチェーン張りをやってみることにした。

 

準備したもの

◎リアアクスルのナット用ソケット

ナットをノギスで測ると24だった。車のホイール専用の車載レンチはあるので緩めるだけならできるが、締める時のトルクレンチにソケットが必要。以前も24のソケットを買ったが子供に大きな車のホイール用トルクレンチ共々取られて行方不明なので、24を再度購入。この時に失敗したのが、最初に買ったソケットはよく調べずに差し込み角1/2インチ(12.7mm)のを買ってしまったこと。以前は車用の大型トルクレンチに合わせ、1/2を買ったと思う。しかしこの大型トルクレンチも、子供部屋のゴミの山に埋もれて行方不明。

以前モノタロウで買ったスピンナーハンドルと、もう一つの中型のトルクレンチの差し込み角を見たら両方とも3/8インチ(9.5mm)で、1/2インチは使えない。がっかりして3/8インチの24のソケットを再度買った。後でネットを調べたら、車関連の工具で差し込み角に迷ったら3/8にしておくのがいいらしい(ただしよくよく調べてみると、24以上は大きな力がかかるので1/2の方がいいようだ)。念のためケチらずに、車のホイールにも使えるようにディープソケットタイプにしておいた。

 

◎両口のレンチセット

モノタロウの安物を買った。チェーンアジャスターのロックナットは、メガネレンチでは緩められないため。

 

◎チェーン アラインメント ツール

チェーン張り時にチェーンに対して後輪が傾いて取り付けられてしまうと、チェーンやスプロケットにダメージを与えてしまう。そこで後輪スプロケットに長い棒を取り付け、チェーンに対する後輪の傾きがまっすぐであることを確認するための道具を買った。色々出ているようだが、自分は近所のアストロプロダクツの店頭で購入した。どのメーカーのもほとんど同じだが、長い棒というのが15cmくらいしかなく、結局ホームセンターで70cmぐらいの直径3mmくらいの金属棒を購入し交換した。このくらいないと、傾きはわかりにくい。

www.astro-p.co.jp

 

実際の作業

1: まずリアディスクブレーキのキャリパーに繋がっているトルクリンク①のナット(14mm)を、緩めておく。外す必要はない。

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2: リアアクスルのナット③(24mm)を外す。なおナットは、車体の右でも左でもどちらでもいいらしい。作業のしやすさのためマフラーがない側にする事もあるようだ。

ナットにはゆるみ止めに割りピンが入っているバイクもあるようだが、Bandit 1200Sには割りピンはなかった。

30cmほどのスピンナハンドルで回したが、これがかなり固く金属製ハンドルがしなるほどで、相当きつく締まっていた。ねじロック等の塗布はなかったので、多分エアーツールやショックドライバーなどで、いい加減に締めただけなのだろう。

 

3: 左右のスイングアームに固定されているチェーンアジャスターのロックナット③を、緩める。

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4: 左右のチェーンアジャスター④を、チェーンの弛みを見ながら、少しずつ左右均等の長さに調整していく。

スイングアームの締め付け位置に、左右同じように目盛りが刻んであり、中心目盛り(青の矢印)だったのを一つ後ろに引っ張った。チェーンの遊びが35mm位になったことを確認したので、アジャスターのロックナットを絞めた。

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5: トルクレンチを使用し、アクスルナットをマニュアル通り78N・mで締めカッチンという音を確認した。念のためもう一度弛みを確認すると、なんとここで問題発生。さっきあった弛みが全然なくなり、チェーンはビンビンになっているではないか。ガックリして、やり直しだ。

 

6: なぜ弛みが変わったか考えてみたところ、おそらくリアアクスルシャフトがダルダルの状態で、チェーンアジャスターのロックナットを先に締めたことでアジャスターとナットの遊びの分でチェーンを更に張ってしまったのでは、と思った。

 

7: そこで今度はチェーン再調整後、アクスルナットを先にがっちり締め、後からアジャスターのロックナットを締めた所、調整した緩みは変わらずバッチリうまくいった。

 

8: なおアクスルナットを締める前に、チェーンアラインメントツールを使い後輪の向きをチェーンと平行になるようにチェーンアジャスターを調整した。長い金属棒のほうが、平行がわかりやすくてよい。

 

9: アクスルナットをトルクレンチで78N・mで絞めた後、アジャスターのロックナットを締め、リアブレーキキャリパーのトルクリンクのナットを指定通りの13N・mで締めた。やり直しを含めて一時間近くかかったが、要領がわかったので次回は半分以下の時間でできると思う。

 

10: ちなみにチェーンはスイングアームの目盛り中心より一個だけ後ろだったし、スプロケットの山もマニュアルにあるような目立った磨耗はなかった。マニュアルによるとチェーンのピン21個分の長さが319.4mmという基準値もあったが、測る方法が無かったのでパス。しかしまだもう少し使えるだろう。最後にチェーンにざっとチェーングリスのスプレーを吹いて、作業終了。

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なおこの記事を書くために色々ネット情報を調べていたら、アンチスクワットという言葉がでてきた。チェーンの遊びにも影響してくるもので興味深かったので、次回はそれについてまとめておこうかと思う。

 

Totan spent so far

1/2角の24ミリソケット     間違えて購入   約600円
3/8角の24ミリソケット     ロングタイプ   約800円
チェーンアラインメントツール アストロプロダクツ 1,815円
約70cm×3mmの金属棒     ホームセンター   約250円
両口スパナセット       モノタロウ        889円
合計                      約4,354円

タバコがいつの間にか値上げになっていた

 全然知らなかったが、タバコが10月1日から値上げされていた。税金が増税になったのが理由だそうだ。以前は値上げのたびに事前買いだめがニュースになっていたが、ここしばらくその手のニュースを見ていない。タバコを吸う人が減ってきたからだろうか。自分も30代前半以降は、タバコは吸っていない。

 

以前吸っていた銘柄の値上げ後の値段を見て驚いたので、ちょっと書いておく。

時期

銘柄

当時の価格

今回の値上げ後の価格

コメント

貧乏学生の頃

わかば

100円

500円

旧3級品のためまずく、たばこ税が低い。「じいちゃんのたばこ、ださい、貧乏人御用達」で、自動販売機では売っていなかった。2019年で従来の紙巻タバコが、小型の葉巻たばこに変わった。

貧乏学生の頃

エコー

90円

500円

旧3級品で、他銘柄の製作中に出た屑を混ぜているようで、味が変わることがある。当時でも吸っている人を、めったに見なかった。しかたなく吸っていただけ。2019年で従来の紙巻タバコが、小型の葉巻たばこに変わった。

貧乏学生の頃

セブンスター

180円

600円

学生食堂の激安ランチが160円だった頃。自分にはこれは贅沢品だったのであまり吸ったことはない。サラリーマンなどはこれが定番。

貧乏学生の頃

ペーペーサラリーマンの頃

ハイライト

150円

520円

金が無かったから。貧乏学生はこれが多かった。それでもちょっと贅沢した気分だった。笑 社会人になっても金が無いので、しばらく吸っていた。

ペーペーサラリーマンの頃

ショートホープ

120円くらい

300円

10本入り ニコチン、タールとも多く、結構強い。久しぶりに吸うと、クラクラした。香料に蜜蝋を使って深い味わい。少し給料が上がってから。

ペーペーサラリーマンの頃

マールボロ

250円

600円

ハードパックがかっこよかった。セブンスターなんかも同じくらいだったと思う。モータースポーツのスポンサーをしていた。

ペーペーサラリーマンの頃

プロムナード

250円くらい?普通サイズ

輸入品。40gで1,250円、パイプ用

現在はJTが委託し、デンマーク生産。1993年ころまで日本でも紙巻で販売。パイプ用の葉を使用しチョコレート、メイプルシロップ、蜂蜜風の甘い香料を加えた。時々吸ってた。

ペーペーサラリーマンの頃

ラッキーストライク

250円

600円

確か外圧で関税が下がり、洋モクの値段が国産と変わらなくなったと思う。モータースポーツのスポンサーで有名。

 

 紙巻から葉巻に変わったそうだが「わかば」や「エコー」が500円なんて...。多分、以前の値上げ時に安い銘柄に変えた人が多く、それを狙い撃ちしたのだろう。自分は以前大体一日にひと箱(20本)吸っていたから、月30日とするとセブンスターなら今は18,000円もかかるのか。

 

 昔はタバコには注意書きなどなかったが、サラリーマンになった頃から海外ではパッケージに「タバコを吸うと肺ガンになります」といった注意書きがでかでかと書かれるようになったり、肺ガン患者のヤニで真っ黒のグロい肺の写真が印刷されたりするようになった。

 

 またその頃から海外ではタバコの値段が高くなり始め、確かロンドンで20本入りが500円程度と聞いて驚き、日本は安くてよかったと思った覚えがある。しかし現在の価格をネットで調べたら、さらにあっと驚いた。なんとトップはオーストラリアでマルボロが2,962円!、イギリスで1,668円、フランスで1,316円、シンガポールで1,153円とほとんど日本の2~5倍。本国のアメリカでも874円、ドイツでも921円で、日本より安いのは、いわゆる開発途上国が多い。タバコ一本で150円?一日ひと箱吸ったら、月9万円!愛煙家は高額納税者だ。しかし肺ガンになって高額の医療費を保険で賄うならば、保健医療制度の維持に対しても大きな問題だ。

 

 タバコを吸うとリラックスできるという人もいるが、今になって考えれば、これは禁断症状が緩和されただけだと思う。今は加熱式の電子タバコが人気で会社でも若い人が使用しているが、これも似たようなものらしい。また若い女性が、結構吸っているイメージもある。日本専売公社(現在のJT)にはすっかりカモられ、かつ日本人の健康は悪化した。さらにタバコの火の不始末による火事も相当あっただろう。

 

 こんな状態でJT日本たばこ産業)はやっていかれるのかと思ったら、2021年2月のプレスリリースによると、日本市場を含むタバコ事業の本社機能をスイスジュネーブに2022年1月から統合し、日本の工場をいくつか閉鎖し、正社員を1,000人削減、パートも1,750人削減だそうだ。

 

 最近では、イオン、味の素、野村ホールディングス大和証券グループ本社などが在宅勤務を含む勤務時間中の喫煙を禁止したそうだ。喫煙者はしばしば席を外し喫煙室に籠っているので、経営者の本音は無駄な時間を削減したい、という意味なのだろう。ただ彼らに言わせると、喫煙ルームでの裏情報の交換は結構重要だという。本当か?

 

 なんでもかんでも禁止、健康一番という風潮はよくないとの意見もあるが、喘息で苦しんだ経験者からは、健康増進と医療費の削減という観点から、素直にやめた方がよろしいかろうと思う。一番苦しいのは自分自身なのだから。そのほかにもリラックスする方法はある。

国鉄中央本線 いのはなトンネル列車銃撃空襲の慰霊碑(遠征編)

事件編はこちら

tokyo-it.hatenablog.com

遠征について

ネットで検索すると、この銃撃事件の情報はそこそこみつかるが、しかし慰霊碑までの具体的な行き方の情報がほとんどなく(後になってYoutubeにあることがわかった)、ストリートビューも途中までしかない。それならばオヤジの供養も兼ねて、代わりに自分で行って見ようと思った。

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大垂水峠の帰りだったので、甲州街道上り線で高尾山口を過ぎてしばらく行った「西浅川交差点」を左に曲がり、旧甲州街道に入る。店舗などもなく、急に静かな街並みになる。この辺は裏高尾町というらしい。5分も走ると、乗用車のすれ違いですら難しいほど道幅が狭いところが所々ある。京王バス高尾駅北口発小仏行き(土日のみ高尾山口小仏行きもある?)がこの旧道を走っているが、運転士は大変だ。高尾駅北口からこのバス停まで2.35キロ、歩くと3~40分かかるのでバスのほうがよさそうだ。昔の小仏の関所前を過ぎると梅が有名なようで、この旧道付近には梅林があちこちにある。

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静まりかえった住宅地なので、バイクのスピードもぐっと落としそっと進む。もう少し進むと、正面に見上げるように圏央道の高架橋が見えてきた。その少し手前の上り線側に京王バス「蛇滝口」バス停 があり、ここに慰霊碑入口の案内の石碑がある。

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奥の緑のフェンスの向こうが小さな「から沢」で右側の線路まで続いていて、そこにも乗客が逃げ込んだそうだ。左の旧甲州街道をくぐると、小仏川につながる。

 

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バイクを止めて歩いて行ってみると、案内板や慰霊会出版の本のパンフレットなどがあり、一部もらって来た。それらしき方向に進むと道が別れており、矢印が消えかけた看板に従って黄色の矢印方向へ進む。

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まるで他人の家の裏庭に勝手に入っていくようで、ちょっと気後れする。畑横の獣みちのような道を進むと、すぐ向こうを中央本線が走っているのが見える。

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大きく左に曲がり少し先の右側に慰霊碑があった。上の写真で写っているのは、圏央道の高架橋。位置的には、中央本線下り線の南側の日当たりのよい斜面となる。毎年8/5に慰霊祭が開かれるそうだ。慰霊碑に個人名や年齢が刻まれているが、被害にあった人々の中にはオヤジと同じくらいの当時十代の人々もいた。オヤジの名代として、亡くなった方々のご冥福を祈った。合掌。オヤジも喜んでくれただろうか。

 

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事件当時の鉄道は単線だったため、1950年(昭和25年)地元青年団によって「列車戦没者供養塔」が現在の上り線側の線路の北側に建てられた。しかし線路脇で危険だったため、後に現在の下り線の南の位置に昭和61年に地主の厚意で移転したらしい。また現在の慰霊碑は、平成4年に完成したそうだ。

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今歩いてきた獣みちを少し戻り、先ほどの二股を今度は紫の矢印のほうへ進むとすぐに新井踏切にぶつかる(地元は荒井地区と書くが、国鉄が当て字をしたらしい)。写真の正面上に写っているのは中央自動車道の高架橋。幅1.8mの人専用の遮断機のある小さな踏切だ。手前に土地所有の境界を表す「工」マーク入りの境界杭がある。このマークは以前国鉄を管轄していた「工部省」の工を表し国鉄時代の杭らしいがJRになっても一部で使われた場合もあるようだ。赤ペンキがまだきれいで、大正、昭和初期のものとは思えない。

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新井踏切から現在の複線化されたトンネルをみると、南側の下りトンネルは新しいコンクリート製で、また北側の上りトンネルは古いレンガ造りで、事件があったのは慰霊碑の反対側にある上り線(当時は単線)だったことがわかる。レンガには銃撃の跡が残っているとのことだが、望遠レンズでもないことには踏切からはとてもわからない。トンネルの奥にはすぐ出口が見えるので、あまり長くない(160m)ことがわかる。トンネル出口から新井踏切までが104m。昭和の国鉄の客車長は20mだったらしいので、トンネルに6.5両分が入れなかったとすると約130m。すると列車の最後部は、踏切と慰霊碑の中間あたりだったと思われる。

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踏切上り線側から見た下り線の様子。矢印のあたりが、慰霊碑。

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新井踏切を渡り中央本線上り線を北側に越えると、比較的新しく広い道路がある。ここへは、旧甲州街道を少し戻ったところにある「みどり幼児園(ようじえん)」横の脇道を入れば来ることができる。おそらく高速道路工事の際に作業用に作った道のようで、新井踏切の先の中央自動車道下でフェンスが施錠されそれ以降は入れない。今は付近の農家、関係者、登山客以外ほとんど誰も通っていない。もし車で慰霊に来てみようというなら、こちら側なら道幅が十分広く路上に駐車しても迷惑にはならないだろう。旧甲州街道には付近に駐車場はなく、また道幅が狭くバスも通る。路上駐車は地域住民の迷惑になるので、やめた方がよい。北側の道に車を止め、上り線側から踏切を渡り、一旦下ってから左へ曲がって慰霊碑に進むのがよい。みどり幼児園先の線路をくぐるガードは狭くてビビるが、二トン車くらいまでなら入れる。また踏切北側(中央自動車道高架橋の下)に小さな観音像が立っている。石碑を読むと、どうも交通事故等で亡くなった子供の慰霊碑のようだった。こちらにも合掌。

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同日にあったこと

なお、いのはなトンネル銃撃事件と同じ日(1945年(昭和20年)8月5月)の正午ごろ、神奈川県の国鉄東海道本線二宮駅にもP51が飛来し、駅舎とその周辺を銃撃し5名の死者をだした。小笠原諸島のさらに270キロ先の硫黄島から片道約1,200キロを4時間ほどかけて飛んできた三十機程度のP51が、同じ日に東海道本線国府津駅鴨宮駅間、二宮駅小田原駅早川駅御殿場線下曽我駅、松田駅などに機銃掃射を加えて行った。この一部または同じP51が、いのはなトンネルにも来たのではないか。

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P51は航続距離が非常に長い事を日本は知らず、近海まできた航空母艦から発艦した艦載機だと思っていたようだ。ところが実際は硫黄島から往復2,400キロも飛んできたわけで、最大時3,000キロの航続距離を誇った。

さらにP51は高速な戦闘機で、最高のコンディションでは最高時速680キロを出したことになっているが、遠距離の硫黄島から飛来した際には燃料の大型増加タンクを付けたままと思われるので、最高速度は380キロ程度だったらしい。しかし巡航速度が時速300キロだとしても、八王子と小田原間は遠いように思えても実は43キロしかなく、ほんのわずか9分程度で到達してしまう。同じ飛行機だった可能性も十分ある。

二宮駅への銃撃については小説「ガラスのうさぎ」が取り上げており、主人公の少女(著者)の父が実際に二宮駅の銃撃で亡くなったそうで、映像化もされている。

終戦まであと二週間足らずなのにと思うとやりきれないが、小田原は8/7、13にも、また終戦の日の8/15未明にも小田原、伊勢崎、熊谷にも無差別空襲があったそうだ。戦争とはそんなものだ、という言葉では片付けられない。犠牲者の皆さんのご冥福を祈りつつ、合掌。

 

本ページを記述するにあたり、数々のWebページ、また下記の本を参考にさせていただきました。御礼申し上げます。この本は慰霊碑入口の所にあったパンフレットで紹介されていた書籍です。少々薄くて、当初は慰霊会への寄付のつもりで一冊購入しました。ところが貴重な情報が満載で、後世に残る記録だろうと思います。

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Youtubeの動画では、以下をご紹介いたします。「湯の花トンネル列車銃撃空襲」第40回 多摩探検隊 <制作・著作>中央大学FLP松野良一ゼミ 


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最後に八王子のメインストリート甲州街道を走っていたら、三菱UFJ銀行の隣に荒井呉服店がビルを建てて10/28に新装開店していた。今は姪っ子さんが代表をしている地元でも評判のいい立派な会社だそうで、きれいな店頭には胡蝶蘭が50個ぐらい並んでいてすごい!と思った。しかし、こちらも八王子の大空襲ではご苦労をされたようだ。

国鉄中央本線 いのはなトンネル列車銃撃空襲の慰霊碑(事件編)

いろいろあって、ブログをアップデートする気になれなかったが、また気が向いた時にでもやってみよう。

今は亡きオヤジが高校の同窓会で知ったらしいのだが、終戦間際にあった以下の事件の被害者の中に同窓会の関係者がいたそうだ。自分はたまたま中島飛行機、武蔵野製作所について調べたことがあり、その際に関連するこの事件の概要だけは知っていた。その話をしたら当時すでに寝たきりだったオヤジは喜んでくれ、慰霊碑にお参りに行きたそうだった。


最近、ふとその事を思いだしネットで調べた所、慰霊碑の大体の場所がわかった。コロナの緊急事態も開けたことだし、バイクで大垂水峠へ行く道すがら、オヤジの供養を兼ねて代わりにお参りをしてこようかなと思った。

 

事件の背景
戦争も末期になるとサイパン硫黄島に米軍基地ができたため、東京には空襲が頻繁に行われるようになっていた。現在の武蔵野市の都立武蔵野中央公園、NTT武蔵野研究開発センタ、武蔵野市役所およびその周辺には、当時は中島飛行機(現在のスバル)の、従来東にあった陸軍向けの武蔵野製作所と西にあった海軍向けの多摩製作所が合併してできた東洋一巨大な軍用機用エンジン工場の武蔵製作所があり、さらにその関連会社、施設が多数あった。米軍は工場破壊のため周辺に空襲を9回も繰り返し、武蔵野市と現在の西東京市に多大な被害をおよぼした。付近からは2000年代になっても、大型の1トン爆弾の不発弾が出てくる程である。


そのため軍は八王子の浅川(現在の高尾)の山中に総延長10キロにもおよぶ巨大な格子状の防空壕を掘り、浅川工場として疎開させようとした。これは現在でも見学ができる。しかし航空機用エンジン製作用の精密な工作機械は、湿気や漏水の激しい防空壕ではまともに動かず、エンジンはほとんど生産できなかったらしい。


それまで八王子は大きな空襲を受けていなかったが、中央線、横浜線八高線と鉄道が交差しており、また中島飛行機の関係者や疎開してきた人が多くなったためか、終戦まで後わずか13日の1945年(昭和20年)8月2月未明、米軍による大空襲を受けた。約2時間にわたる空襲で合計1600トンの焼夷弾が投下され、八王子市街地の約80%が焦土となり、写真をみると広島と見紛うような惨状であったそうだ。現在でも八王子駅高尾駅ホームの鉄柱には、当時の機銃掃射の後が残っているそうだ。

 

事件の詳細
その3日後の8月5日、国鉄中央本線はやっと復旧し、ED16-7という電気機関車にけん引された8両編成の新宿発、長野行きの419列車が新宿を定刻の10時10分から20分程遅れた10時半頃に発車した。下記写真は、青梅鉄道公園に展示されているED16-1。

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八王子の空襲で3日も不通だった中央本線がやっと復旧したため、列車は八王子に来ると乗客は窓から乗り込むほどの超満員状態となった。八王子に到着する前に空襲警報が発令されていたが、11時半頃に鈴なり状態の列車は隣の浅川駅に向かった。浅川駅(現在の高尾駅)には40分程遅れ正午頃についた。まだ空襲警報が発令されいたためか駅で15分ほど待たされたが、警報解除前の12時15分ごろに浅川駅を発車した。見切り発車した理由は不明。

いのはなトンネルまでは平均で約20‰(パーミル 1,000m進んで20m登る、実際には浅川駅から2,200メートル進んで45m登る)という列車にとっては急なこう配で、当時の電気機関車、および鈴なりの満員8両編成の客車は、警報が解除されていない中、小仏峠に向けた急坂をノロノロと進んで行ったのであろう。


通常、空襲というと爆撃機による爆撃が普通で、写真の航続距離の長い米軍戦闘機P51マスタングは迎撃に向かってきた日本軍機に対する護衛のために同行していた。しかし終戦間際になると日本軍は組織的な迎撃が不可能になり、米軍戦闘機だけによる工場、鉄道、家屋、自動車、漁船、非戦闘員までもを機銃で狙う空襲が始まった。この時も、硫黄島からP51戦闘機が4機が飛来し、いのはなとんねるに近づいた419列車を機銃とロケット弾で攻撃し、悲劇が始まった。

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いのはなトンネルは約160mと比較的短い。さらに機関車はトンネルの中で停止し、客車は二両目の途中までしか入れなかった。その理由は、当時貴重品であった機関車を温存したためという説がある。その根拠は、運転士が急ブレーキをかけたとの情報があるため。通常ならトンネルの奥まで逃げ込んでできる限り攻撃から列車全体を隠すと思うのだが、なぜ二両目の半分までという中途半端な場所で自ら列車を止めたのか?そうしろという指示が、事前に上からあったのか?パニックになって、とっさの判断を誤ったのか?

 

いずれにせよ二両目の後半から八両目までの客車はトンネルの外で止まり、P51のロケット弾は外れたが客車の多くの部分は機銃掃射を繰り返しまともにくらってしまった。乗客は子供から老人まで窓から乗り込んでデッキに溢れる超満員状態だったので、車外に逃げるにも手間取ったのだろう。やっと車外に逃げられた人達は、車両の下、近くの樹木の中、下記写真にある踏切から20mほど西側にある「から沢」等に避難した。写真は、当時はなかった下り線とそのトンネル。

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攻撃は5分間程度だったようだが、特に三両目が最も被害がひどかったらしい。車内は血の海と化し、滑ってまともに歩けず、風が吹くと血の海に波が立つ程の惨状であったという。警察発表で52人(慰霊会発表では60人以上)が死亡、133人が負傷したという。


地元では個人、浅川町警防団、役場など一丸となって救護活動を行った。負傷者や死者は近隣の病院やお寺等に安置したそうだ。なお慰霊碑の入り口にあるバス停・蛇滝口の向かい側にある旧蛇滝茶屋(蛇瀧信仰講中の宿泊休憩所は当時からある)は遺体安置所、遺族の集会所、雨戸を外して犠牲者救助に協力してもらったそうだ。この建物の向こう側が、小仏川となる。

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銃撃事件の後

419列車の最後尾8両目には多くの兵員が乗っていたそうだ。事件直後の救護活動の最中には、地元の人々が傷ついた兵士の救護をしようとすると「一般の人達を先に助けてあげてくれ」といった声が、兵士個人からは聞こえたそうだ。しかし搬送が開始されると「兵士が先だ」という怒鳴り声が聞こえ、兵員が先に軍の車に乗せられていった。一般の負傷者は重傷者や長く地面に寝かされたままの人もおり、「ひどいことをいう」と腹を立てた人もいた。

 

八王子市内は8/2の大空襲でほとんどの家屋が焼失し、銃撃された乗客を手当てできる医療施設はほとんど残っていなかったため、周辺の少しでも近い病院を探しけが人を連れて行った。しかし軍関連の病院へ連れて行くと、軍人以外の手当てを断られたケースが複数あったそうだ。ここにも国民をないがしろにする旧日本軍の体質が表れており、これも日本が戦争に負け多大な犠牲を出した大きな理由の一つであろう。

 

トンネルに逃げ込んだ電気機関車ED16-7は、煙が出たそうだが炎上はしなかった。しかし送電線が切れて動けなくなったため、救援に来たC-58蒸気機関車に牽引されて浅川駅まで戻ったそうだ 。その後修理され1980年頃まで現役だったらしいが現在は廃車され、車番のナンバープレート(事件当時の物でない)だけが 八王子市郷土資料館に保存されているらしい。ただしここは2021年(令和3年)に展示を終了し、八王子駅南口に準備中の歴史・郷土ミュージアムに移転するようだ。プレートの行方は不明。

 

「いのはな」の記述については、元々はトンネルのある山が猪の鼻のように見えたため地元では「猪の鼻山」と呼ばれていた(現在は中央自動車道工事で、山をかなり削ってしまい当時の面影はないそうだ)。しかし1901年に八王子=上野原間に当時の官設鉄道(おそらく逓信省鉄道局時代)としてトンネルが開通された際に、「猪の鼻」を「湯の花」と書き換えてしまったらしい。縁起担ぎなのか、どうも鉄道が地名の漢字を変えることは時々あるようだ(下記のある踏切名も同様)。そのためブレを防ぐためか慰霊会ではひらがなで「いのはな」に統一しているようで、慰霊碑も「いのはな」となっているため、ここでもその表記に従うことにした。

 

なお現在中央本線は上下線が複線化されているが、本事件があった時には現在の上り線側だけの単線であったそうだ。事件があったのは現在の上り線で、レンガ造りの古いトンネルのほう。レンガには銃撃の跡が残っているそうだが、踏切からは遠くてとても見えない。左右に通るのが圏央道、右上に見えるのが中央自動車道

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ちょっと長くなったので、次回の遠征編に続く。

tokyo-it.hatenablog.com

奥多摩周遊道路(東京都で一番高い道路)

コロナのため遠出をする機会がなかなかない。たまたま今日は暖かくなるとの予報だったので、人がいない場所ならいいだろうと、久々に出かけてみようかと思い立って、また奥多摩湖へ行くことにした。前回行ったとき思ったほど遠くなかったのと、かなり山奥の雰囲気でずいぶん気分がリフレッシュしたので、また行ってみたくなった。ちょっと気がかりだったのは、先週に降った雪がまだ残っていたり、路面凍結などがないかだったが、いけるところまで行ってみようと思って9時に家を出発した。

ガソリンは満タンにしてある。前回と同じく、新青梅街道を西にまっすぐ進む。前回のほうが寒かったような気がする。青梅線軍畑(いくさばた)駅を少し超えたあたりから、だんだん本格的な山の中に入ってくる。そして奥多摩駅を越えるとかなり人家が少なくなってくる。そして10時過ぎに、小河内ダムに到着する。ただ前回と異なり、コロナの緊急事態宣言が延長され「奥多摩 緑と水のふれあい館」がクローズになっていた。開いていたらカツカレーでも食べようかと思っていたが、さてどうしようか思った。

まだ時間はある。そこで思い立って、まだ行ったことない「奥多摩周遊道路」に挑戦してみようかと思った。ネットで東京のツーリングコースで探すと必ず出てくる。

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奥多摩周遊道路

場所は青梅街道の奥多摩湖北岸をしばらく西に進み、南へ向かう橋(深山橋)を渡った左の橋から始まる。この橋が起点の三頭橋(みとうばし)で、終点は桧原村数馬の九頭龍橋(くずりゅうばし)とする19.7kmだ。

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起点の三頭橋

以前は有料道路だったせいか道幅が広く、地元の生活道路ではないため交通量が少なく、バイクが飛ばしやすい。車でもバトルの練習をしているのもいた。また以前国体の自転車競技でも使用した道路らしく、自転車も結構走っている。

ゆえに事故が非常に多いそうで、事故注意とか、死亡事故多発とかの看板だらけだ。シーズン中にはオービスによる速度違反の取り締まりもやっているらしい。白バイも多数出るそうだ。今日は寒いシーズンオフにもかかわらず、パトカーと3回もすれ違った。夕方も18時くらいから車両通行止めになっている。さらに山奥のため展望台などで見たところ携帯が圏外になっていて、ここでは救急車を呼べない場所も多数あるようだ。事故った時に下記のように病院に収容されるまで約2時間かかります」という看板がある。

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病院まで2時間!

峠を攻めるライダーの気持ちもわからないではない。しかし自分で自分の首を絞めているだけでなく、他の車、警察、消防、医療関係者、家族など多くの人に迷惑をかけ、「まさかの場合は誰か助けてくれるだろう」と勝手に他人の善意を期待をしていることになる。レース場でなく皆の公道であることを忘れずに、楽しく運転をしてほしい。頭文字Dを観て喜んでいるくせにエラそうなことは言えないのだが、いい年をしたオヤジが世間様にご迷惑をおかけすることはできないので、気を付けて走ることにする。


Wikiによると起点から500メートルほどの川野駐車場の標高が、544メートルだそうだ。この付近に昔は料金所があったらしい。

また駐車場の反対の山側には、廃止になった多摩湖を渡るロープウエイの三頭山駅の廃墟もあるそうだ。奥多摩湖の反対側には、川野駅の廃墟もある。調べてみるとここは小河内観光開発の奥多摩ロープウエイ(正式名:川野ロープウェイ)で、1962年~1966年の4年間だけ動いていた。昔は渋谷にケーブルカー(どう見てもロープウエイ)があったほどだから、このロープウエイも三頭山へのハイキング客目当てに期待されたのだろう。しかし運賃が割高だったり、すぐ近くに深山橋が新設されたことなどにより4年で休止になったそうだ。50年以上放置(放棄)状態のため、ここは心霊スポットとして、非常に有名な観光地(W)らしい。廃線にはちょっと興味があって調べたが、現在は危険だったり、立ち入り禁止になっている部分が多く、Webで見るだけにしておく方がいいかもしれない。三頭山側はこちら川野側はこちら

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川野駐車場付近 標高544メートル

起点から9.3キロと11.1キロに月夜見第一駐車場と第二駐車場がある。第一は奥多摩湖奥多摩・奥秩父国師岳雲取山などなどが見え、第二は春になると御前山へカタクリを見に来る登山客が多いそうだ。数台のバイクも一休みしていたが、自分は先を急いだ。

 

起点から12.8キロの風張峠(かざはりとうげ)駐車場付近が標高1,146メートルで最高地点。起点から600メートル程も上ったことになる。自宅からなら1,000メートル以上で、東京タワー3個分だ。なおここは「東京都で一番高い道路」だそうで、下のような地味な(W)標識が立っている。運転中に何度も耳がツーンとなった。ただしここは山側に駐車スペースがあり、眺望が良いはずの東側(下記写真では左側)が木々が茂って景色が何も見えない。ここは「三頭山と山のふるさと村を結ぶハイキングコース」に向かう人達向けの駐車場らしい。

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左に「東京都で一番高い道路」の標識 標高1,146メートル 手前左が駐車場

その1.3キロほど先にある、浅間尾根駐車場(せんげんおね)標高1,109メートルからみた都心方向の景色が下記の写真。こちらの駐車場(というか展望台)のほうが谷側に駐車スペースがあり、東に開けていて景色がよい。中央やや左にスモッグにかすむ高層ビルが見える。初日の出なんぞみたらいいかもしれないが、奥多摩周遊道路は夜間進入禁止で残念。また道路を檜原側に200m程進むと、富士山が見える場所があるそうだ。次回は写真を撮って見よう。

東京都建設局西多摩建設事務所 交通規制
奥多摩周遊道路は、夜間通行禁止です。その他、雨量(連続雨量80mm超)や積雪等による通行止めもあります。
夏季 4月1日から9月30日まで    8時~19時(通行可能時間)
冬季 10月1日から3月31日まで  9時~18時(通行可能時間)
※都民の森~九頭龍橋までの区間は、通年で5時~21時が通行可能時間です。

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浅間尾根駐車場から都心方向を望む

16キロ付近には、東京都の檜原都民の森がある。都民が森林を楽しむための施設で、人気があるそうだ。ここには「東京都で一番高いレストラン」があるそうだ(冬季休業)。このあと19.7キロで九頭龍橋の終点となり、檜原街道と合流する。 

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終点 九頭龍橋 檜原街道と合流

 今日の気温は都心で14度ほどだったが、奥多摩周遊道路では途中何か所かあった温度計では、8~10度の表示だった。しかし日陰だと一週間ほど前に降った雪がまだ路肩に結構残っていて、それが解けて流れた水が道路を横切っている。さらに日陰だと路面が微妙に黒くなっているところがあって、それが単に湿っているだけなのか路面凍結をしているのか、走っているとよくわからない。それがちょっと怖かった。

奥多摩周遊道路は山の中を通る元観光有料山岳道路のためで、途中に一般の民家はない。道幅も広く路面もいい。しかし檜原村数馬から檜原街道に入ると、山道ではあるが人家がちらほらしてきて生活道路となる。そうなると道幅が狭くなったり、路面が悪くなったり、集落では路上駐車や工事があったりと、地元の車や工事のダンプカーなどとすれ違ったりと、人間臭くなってくる。檜原村役場も立派な建物で、意外だった。

秋川の北岸を東に進み、あきる野市、五日市の市街地に入ると、もう大きな街だ。檜原街道を終え秋川街道を300メートルほど走ると武蔵五日市駅前に出て、交差点を右に曲がるとおなじみの五日市街道に入る。国道16号を越えるあたりでちょっと迷ったが、横田基地を越えてしまえばもう何度も走ったことのある道だ。

 

今回はトータル145キロほど走って、燃費は14.5km/Lほどだった。クラッチやブレーキを握る指は何とかなったが、脚を何度も上げ下げしたせいか、夜になって腿がつった。W 

それから両腕の小指側の筋肉が痛い。これはブレーキやクラッチレバーを握る筋肉痛とは違う。バンディットは、コーナリング中にハンドルが内側に強く切れ込もうとする。よって旋回中はイン側の腕をかなり突っ張り、アウト側ハンドルを引っ張っていないといけない。これはバンディットのトレール量のためか、タイヤのせいか。

今のタイヤを見ると、SPORTMAX ROADSMART IIとあった。ダンロップのツーリング向けモデルだが、ネットで調べてみるとヨーロッパではツーリング向けタイヤでもスプリント向けのように切れ込んでいく味付けが好まれるらしく、このタイヤはそれをターゲットに設計した世界共通モデルらしい。しかしのんびりとツーリングしたい時に、切れ込んでいくタイヤはどうも自分の好みではない。後継のSPORTMAX ROADSMART IIIは、日本専用モデルらしくその辺の味付けがマイルドになっているらしいので、次回は替えてみようか。

 

いい道だったが、シーズンになったらバイクがウジャウジャ出てきそうだ。空いているうちに、また行ってみよう。 また今回は初めてのため余裕がなかったため、Google Street Viewのお世話になったが、次回は自分で写真をもっと撮って見よう。

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左が北の全体地図

 

雨が降ったあとエンストする

今までバンディットには、小雨程度ならともかく、まとまった雨では乗った事がなかった。20年選手に無理はできない。

今回たまたま出先の予定が大きく遅れ、出先で止めている間に雨が降り始め、2~3時間雨ざらしになってから、帰ることになった。

ところがものの50メートルも走ったら、エンストした。ちょうど四つ角を曲がる時にエンジンが止まって、立ちごけになりそうだったが必死でこらえた。藁

みぞれ混じりの冷たい雨で気温が低いため、2000回転ほどでウォームしながらゆっくり500メートル程走ってもまだスロットルを戻すと止まってしまう。アイドリングをあげて大通りを1kmほど走っても駄目で、夕方で暗くなってきてさすがに青くなってきた。レッカーを頼むことも考えた。しかし、もう一度状況を整理し、原因を推理してみた。

1:プラグが雨でリークし失火しているのでは?

なんとも言えない。しかしもう1kmほど走ってエンジンは十分温まっているので、プラグ付近の水だとしたらもう蒸発してもいいのではないか。

2:エンジンやキャブが冷えているのでは。

もう1km走っているので、ある程度温まって落ち着いているはずなのでは。

3:ガス欠になった時のような感じがする。

スロットルを大きく開ける時だけエンジンは動くが、無理やり少ないガソリンを吸い込もうとしているような感じ。ただし残量は目盛り3個分あるはずだし、ガソリンコックをPRIにしても変化なしなのでコックに負圧はかかっているだろう。ガソリンがあるのに、少ないような症状となる原因は何か?

 

そこではっと気が付いた。雨によってガソリンタンクの空気穴が目詰まりのようになってタンク内に空気が入らず負圧になって、キャブにガソリンが流れ込まないのでは....ガソリンタンクが「底に穴が開いていないプッチンプリン状態」になっているということだ。試しにタンクキャップを開けて空気を入れタンクを大気圧に戻した上で、再度エンジンを始動してみた。

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するとあら不思議。エンジンがいつも通り動き続けるようになった。それもアイドリングが2000回転くらいになり、今まで効果のなかったアイドリング調整が有効になった。アイドリングを1300回転くらいに戻しても、そのまま安定している。これで試しに走行してみたが、今まで通りに戻った。それから1時間ほど自宅まで走った。いつまたおかしくなるかなと不安だったが、その日は無事自宅まで帰ることができた。

当日は夜12時頃に雨は止んだ。翌朝6時半頃に別の用事でそのまま乗ったら、1kmほどしてまた「ぼ~」という感じになったので、タンクキャップを一回開けたら治った。その後は大丈夫だったが首都高を使う予定だったので、念のため入る前に一度止まってキャップを開けた。帰りも出るときも念のため一度キャップを開けたが、その日は再発はしなかった。

色々とネット情報を調べたところ、洗車や雨の後にエンジンが不調になるという症状は時々あるようで、原因の一つとしてタンクの空気穴が雨などで塞がり空気が入らずガソリンが素直にキャブに流れにくくなることがあるという。

今どきのバイクのタンクキャップは下記のようなデザインが多く、うちのも同じだ。

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そこで翌日の晴れた日に上記のタンクキャップを外して掃除してみたところ、それらしき穴がいくつかあったが全部詰まっていない。どうもうちのは鍵穴から空気が入り、その後タンク上の開けられた穴からタンク内に空気が入るようだった。なぜなら鍵穴にエアを吹き込んでみると、ここからだけ意外に多くのサビ混じりの茶色の水が出てきたからだ。水が出なくなるまでエアを何度も吹き込み、その後CRCを吹いておいた。

その翌日、試運転をしてみたが問題はなく、元に戻った。今までバイクにはカバーはかけていて雨ざらしにしたことがなかったせいか、今回の現象は初めてで少々戸惑ったが、それらしき原因がわかってよかった。これからは、雨ざらしには注意することにしよう。

ピンロックシートとは

このところ寒くなってきたせいか、検索サービスからピンロックシートの情報を探してこのページにたどり着く人が増えてきたようだ。そのため少し、内容を追加しておく。

 

今まで使っていたヘルメットは、黒のフルフェイスだがもう4年ほど経って飽きてきたことと、重量が重い事と、何かの記事で見たがヘルメットの色が白だと周りからの視認性がかなり上がるということで、そろそろ買い替えてみようかと思っていた。

 

色々とヘルメットの情報を調べていたところ、「ピンロックシートに対応」というような売り文句がちらほらと見つかった。そして対応済みであることが非常にアドバンテージである書き方で、優れものであるがごとく説明されている。ピンロックシートについて知識が無かったので、調べてみた。

 

要は、フルフェイスヘルメットを中心としたヘルメットのシールドの曇り止め対策品で、かなり性能がいいと評判のものらしい。

 

夏以外ではフルフェイスヘルメットのシールドは曇るもので、特に冬に停車した時は自分の呼気の湯気ですぐに前が見えなくなる。そのため特に冬は停車時にはシールドは全開にし、走行中にも1センチ程度は空けて曇り止めにしている。ところがこのシートをシールドに組み合わせると、曇らなくなるとのことだ。

 

曇り止めについては、専用の曇り止め剤、石鹸、ツバなど色々な方法使ったことがある。スキューバダイビングをしていた時は、マスクのレンズにツバとか海藻をこすり付けると曇り止めになった。ただしどれもが有効時間が非常に短く、バイクでの使用には不十分だ。もし長時間、本当に曇らないなら画期的だ。

 

ピンロック社というオランダの会社が、このピンロックシートの特許を持っていてベルギーで製造し、各ヘルメットメーカーにOEMとして提供、また自社ブランドで販売しているようだ。 

 

構造は、二重ガラスのように現行のシールドの内側にもう一枚のシールドを、極薄い隙間を開けて重ねるもの。これで冷たい外気が内側のシールドに直接触れることがないため曇らないという。以下はヘルメットのシールドとピンロックシートを上からみた図。

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冬には住宅用の一枚ガラスには大量の結露が発生するが、二重ガラスだとほとんど発生しない。薄い空気層が、断熱材となる。シートの縁には厚さ1~2ミリ程のシリコンの縁取があり、これで空気層を維持している。そしてピンロック対応ヘルメットとは、外側にあるシールドに、後付けする内側のシールドを固定させるための「二つのピン」が最初から準備されていること、を意味する。

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スリット: スリットは、インサートレンズをフェイスシールドとピンの間で安定してしっかりと保ちます。

シリコーンシール: ヘルメットのフェイスシールドとピンロックインサートレンズの間にダブルシールドシステムを作成します。

乾燥親水性技術: 水分を吸収する膜表面のような乾燥親水性技術 

上記のピンロック社の説明によると、乾燥親水性テクノロジーというのも使用しているとのことで、単に二重ガラスのようにしたという単純なものではないのだろう。撥水だと水蒸気の粒がシールド表面で玉になりツブツブで視界が遮られるが、親水であると水蒸気の粒がなめらかに広がって視界を防げないといった親水性の高いTOTOのハイドロテクト技術のようなものだろう。ガラコのように雨粒を撥水する方法は水滴を走行風で吹き飛ばすことが目的で、そのため界面活性剤で水蒸気の粒をコロコロ弾くようにする。しかしガラコ塗布直後の撥水が非常強い状態でワイパーを使うと、ガラスに微細な水滴がたくさんついて視界が遮られてしまう。さらにフルフェイスヘルメットの場合、内部に走行風は期待できず、また水分量も車とは比較にならないほど少ないので、逆に親水性を高め付着した水蒸気を粒にせず広げて視界を確保する、といった理屈なのだろうか。

 

さて能書きはここまでにして、実際に冬の朝に使ってみた。最低気温はマイナス2度の、震えあがるような日の朝8時にバイクに乗った。気温は0度前後だろうか。

 

前のフルフェイスならシールドを下そうものなら1秒で真っ白に曇ったものだが、ピンロックシート付なら全く曇らない。曇らせようと思って、止まっている時にわざとシールドに息を吹きかけても全然曇らない。時間が経っても変化なし。これはすごい。看板に偽りなしだった。一部のネット情報によると、夜になると対向車のライトが微妙に二重にずれるとの話があったが、自分は全然気にならない。曇り止めの塗り薬などと異なり、もう二シーズン目になるがメンテナンスフリーなのに効果は全然衰えない。

 

ただしネット情報によれば、汚れの洗浄を目的に水をジャブジャブとかけて洗うと、二重シールドの隙間に水が入ってくる場合があるらしい。自分は雨ではほとんどバイクに乗らないが、小雨などでは全く問題はなかった。清掃は濡れ雑巾で拭く程度にしておいた方がよさそうだ。なお隙間に水が入ったとしても、ピンロックシートは固定に接着剤などは使用していないので、ピンから外して水を拭くだけでOKだ。

 

費用は2,000~4,000円程度とばらつきがあり少々お高いが、特許料が含まれているのだろう。だから対応していない(ライセンス契約をしていない)メーカーやモデルのヘルメットには取り付け自体ができない。しかしここまで完全に曇らないなら、価値は十分あると思う。ヘルメットメーカーにとっても、「対応品」は十分な売り文句になる。